統一教会に対する意見書
- 2015/10/10
- 18:30
以下のリストは、『平和を愛する世界人として』(アマゾンページ)の内容に関する指摘である。
列挙したのは全て、書籍として、世界平和に貢献した人間の本として、あるいは常識的に見て、おかしいと言える点である。この本を読んで感動できるものでは到底ないという様々な理由である。教会の信者ならば誰でも構わない、論理的な説明をしてみて欲しい。
ただし、反論の際には統一教会の教義や価値観を基準に用いないものとする。以下に並べた指摘点は、本書の内容と一般常識のみに準じているものだからであり、また、教義を知っていないと理解・解説できない時点で本書が統一教会の信者のために書かれた教本であるとみなされるからである。信者ではない人にも配っている以上、本書だけでは理解できないが何故なら教本なのだから、ということはありえないはずである。
なお、誤訳に基づく誤解があったとしてもそれを論拠にしてはならないものとする。誤訳だとしてもそれに基づいた内容に感動した人がいるという事実は揺るがないからであり、それに反論するためのリストだからである。
歴史認識に対する問題は、1965年の日韓基本条約にのっとり全て解決済みの事案であるとみなす。
なお、引用ページ(p)及び行(l)の表記は2011年9月発行の文庫増補版による。
先生方の中には、私の質問に答えられず、逃げていった人が少なくありません(p.71 l.7)
教会員の方は、文氏に逃げられた先生方のようには逃げずに、きちんとお答え頂きたい。
タイトル
原著は、文鮮明先生ご夫妻の生涯を著した(中略)をベースに、出版社側が約二年間にわたって直接、文先生にインタビューして整理したものと聞いています(p.348 l.11-13)
文先生の生の声(自叙伝)を、こうして日本の皆様にお届け(p.350 l.1-2)
→出版社の人間が匿名で編纂・執筆した本、ということであり、表紙に書かれている「文鮮明自叙伝」「文鮮明著」の文言と矛盾する。自叙伝とは「自」の文字が入っていることからも分かるように、自分で直接書いたものでなければならない。また、それを自覚していながらなお自叙伝だと言い張っている。すなわち、嘘だと分かった上で嘘を掲げ続けているのである。
序文
平和もまた、神様が何の見返りも求めず、ただで下さったものです(p.3 l.15-16)
→平和が与えられなければ手に入らないということは、あらゆる生命体が本質的に望むのは戦争であるということか。
私は愛の力に酔って(p.4 l.4-5)
→愛や施しは自分が酔いしれるために与えるものなのか。少なくとも「酔う」という言葉は良い印象を伴わない。
北朝鮮の金日成主席と会い、朝鮮半島の平和について話し合いました(p.4 l.10-11)
→トップが世代交代したとはいっても、昨今のニュースを見る限り状況は悪化する一方。今の状況に良い影響を与えたとは思えない。
しかし今、私はわが祖国韓国で平和の世界が大きく開いていく希望を見いだします(p.4 l.17)
→この本(もとい序文)を書いてから3年後の2012年、南朝鮮人は平和など考えていないことを世界にアピールした(cfロンドン五輪サッカー)。
生涯に六回も主権と国境を超えて、無実の罪で牢屋暮らし(p.5 l.10-11)
→それだけの回数投獄されて、全て冤罪だったと主張するのはさすがに不自然。国や時代が変われば逮捕される基準が変わるのも当然で、それ相応の理由があったはずである。被害者であることを良いものと考える中国朝鮮的思想ではないのか。
第一章
森の中の生命は争いません。もちろん互いに食ったり食われたりですが、それは空腹で仕方なくそうしているのであって、憎しみからではありません(p.15 l.11-13)
→空腹であったのならば、どんな争いも仕方のないものとして認めて良い、空腹だったからと言い訳すれば何でも許せるということか。また、動物が争うのはなにも食料を求める時に限らない。繁殖期に同種同士で、あるいは縄張りをめぐって争う生き物は少なくない。
悪しき指導者は、自らの腹黒い野心を満たすために宗教と民族主義を利用します(p.18 l.9)
→少なくとも『原理講論』や本著の中には、南朝鮮人が最も優れているという民族主義を利用している記述が多数見受けられるし、キリスト教と南朝鮮を結びつけてキリスト教を利用している。本著は表紙ですでに嘘を掲げて嘘の内容を記した本であるが、これを出させる人間は悪しき指導者ではないのだろうか。
間違った行動は見過ごしにできず、子供たちの喧嘩があると、まるで近所の相談役にでもなったかのように、必ず間に入って裁定し、非のある方を大声で怒鳴ったりしました。(中略)「お祖父さん、お宅の孫がこんなひどいことをしたので、ちゃんと指導してください」とはっきり忠告したこともあります(p.25 l.1-5)
私に鼻血を出させて逃げていった子供の家に一月も通い詰めたあげく、その子と会って、親からは謝罪を受け、餅まで一抱えもらってきた(p.38 l.4-6)
一度決心すると絶対に譲歩しませんでした(中略)過ちを犯したのは私だと分かっていても、母が何か指摘すると「違う。絶対違う!」と言ってぶつかりました。「間違っていました」と一言で済むのに、死んでもその言葉を口にしませんでした(中略)(言うことを聞かないので母が)目の前でおいおい泣き始めるではありませんか。その姿を見ても、まだ間違っていたとは言いませんでした
(p.37 l.11-p.38 l.1)
→他人の非を赦さずにとことん追い詰める一方で、自分が追いつめられる側に回ると一転して非を認めようとしないダブルスタンダード。いわゆる「他人に厳しく自分に甘い」のである。これらのエピソードには反省の言葉や教訓が付されていない。語り口から言っても自慢話のようですらある。このような考え方が平和を生むのだろうか。世界中の誰もが彼のようであったら、衝突しか起こらず、世界は今よりもっと悪い状態になっていたはずである。
行動は荒っぽく見えても、本当は情が深い子供でした(p.25 l.6)
ねだっても嫌われなかったのは、私の中に温かい情があると大人たちが知っていたからです(p.25 l.8-9)
→地の文が「私」なのに、この文体は三人称的。自伝を装っていることが伺える。
われわれが日本よりもっと力が強ければ、そうはならなかったのに(p.31 l.17-p.32 l.1)
→反日感情を煽るための記述。もっとも南朝鮮人は、政治的な力を持つと潘基文や朴槿恵のようになり、経済的な力を持ってもナッツリターン事件を引き起こす国民である。強い国だったらそうならなかったとは言い切れない。
父はいつも「小手先の企みで真理を曲げることはできない(中略)小手先の企みで何をしようと、数年も経たずにぼろが出るものだ」と言っていました(p.36 l.14-16)
→まるでこの本のようだ。小手先の企みで素晴らしい人生を知らしめようとして、結局は文鮮明という男と統一教会が嘘と虚飾にまみれていることを知らしめてしまっている。
糸車に入れる際のほぐした綿の固まりを平安道の言葉で「トケンイ」と言います(p.40 l.7-8)
→トケンイという言葉は朝鮮人にとっても耳慣れない言葉なので解説しているのだろうが、この言葉はこの一文にしか出てこず、まるで意味のない文。文脈など無視して文を切り貼りしているように見える。
「日本人はどうぞ日本に帰りなさい」(p.53 l.2)
「日本人は一日も早く荷物をまとめて日本に帰りなさい。この地は(中略)先祖から受け継いだ遺産です!」(p.56 l.5-6)
→反日感情を煽るための文言。
第二章
猫頭山(標高三一〇メートル)(p.58 l.15)
→意味のない注釈。朝鮮半島には高い山がないのだろうか。
次第にひどくなる日本の圧政とわが民族の悲惨な立場(p.60 l.10-11)
日本に国を奪われたわが国の悲劇はいつ終わるのか(p.61 l.13)
金九先生の大韓民国臨時政府(金九は当時主席)と緊密に連携しながら、同臨時政府を支援する仕事を受け持ちました(p.80 l.6-8)
遠からず日本は滅びますから、泣かないでください(p.94 l.15)
→反日感情を煽るための記述。
私は(中略)神に尋ねました。「神様、本当にいらっしゃいますか」と尋ねて、神が確かに実在することを知りました。「神様にも願いがありますか」と尋ねて、神にも願いがあるという事実を知りました。(中略)こんな私でも神に用いられるところがあると知りました(p.67 l.9-12)
→尋ねることしかしていないのに「何故」「どのようにして」それらを知ったのか。その説明が一切抜け落ちている。
わが民族を悲しみと絶望に陥るままにしておいてはならない(中略)韓民族の偉大さを世界に知らせる方法を探し求めなければ(p.68 l.6-8)
→結局のところ、世界平和を謳いながら朝鮮半島が世界の中心だと思い込みたいだけではないのか。
私はめったに話さない学生でした。他の友達のようにぺちゃくちゃ話すこともなく、一日中一言も離さないこともよくありました(中略)同級生は(中略)悩みがあればまず私のところにやって来て、私の意見を聞くということが頻繁にありました(p.71 l.2-6)
→明らかな矛盾。どちらかが嘘である。
新しい公式を学ぶと、「その公式を誰が作ったのですか。正確に理解できるように初めから丁寧に説明してください」と先生に噛み付いて、授業を引き伸ばしました。(p.71 l.8-9)
→他の生徒の迷惑を考えていない行為である。
私の話は抜群に面白くて、子供たちがとても喜びました(p.75 l.10-11)
→面白い、という主観的な言葉を自分の話について形容し断定するのは奇妙。三人称的な表現で、自伝を装っていることを伺わせる部分である。ここが原文の直訳だとしても日本語として不自然な翻訳で、普通は「面白かったようで」と書くべきである。
無口で、別段面白みもない私を(p.76 l.14)
二十六歳の若々しい青年が(p.97 l.16)
→同上。
日本留学時代も(中略)先生方に向かって質問を浴びせました。(中略)私は、疑問が生まれると、必ず根っこまで掘り下げて解決しなければ納得できないのです(中略)どうせ勉強するなら、それくらい徹底してやらないと意味がないと思いました(p.79 l.6-11)
→先生と問答が出来るだけの語学力があるなら、本で勉強するという手もあったのではないか。そうしなかったのは何故か。
電信柱を載せたリヤカーを引いて華やかな街灯がともる銀座を通った時、交差点の途中で信号が赤になってしまい、その場に立ち止まったために、道行く人々がびっくりして逃げていった(p.81 l.15-17)
→このエピソードで何を言いたいのかが分からない。例えば、朝鮮とは交通ルールが違ったという異文化交流エッセイ的な側面を持たせたいのならそう書くべきだし、こんなことがあったおかげで東京の街の隅々まで分かるようになったというのであれば話がまるでつながらない。眼中には自分のことしかない、交通ルールや常識や他人がどうあろうが関係ないと言いたいのだろうか。
日本人が三日かけてする仕事を、韓国人は一晩でやってのけます(p.82 l.10-11)
→それほどに勤勉であるならば、どうして日本ほど朝鮮は先進国になれないのだろう。
金仁珠夫人の義父は平壌で有名な長老でした(p.99 l.17)
→この金仁珠夫人なる人物はここが初出。まるで小説の書き出しのような書き方をしつつ、次の文でメインとなるのは義父ではなく夫人の方。文章としておかしい。
拷問ごときに屈服して同情を買う程度のいくじなしの私ではありません(p.102 l.16-17)
→拷問の様子を描写するのは同情を買って欲しいからではないのか?
一月近くマラリアにかかっていても、私が仕事をできなければ他の囚人たちが私の分までやらなければなりません。そうならないように、一日たりとも休みませんでした(p.107 l.11-13)
→それほど長期間に渡る病気にかかっていながら健常者に混じって仕事をしていたというのは不自然。マラリアは単なる風邪ではない。他の囚人への感染を看守は恐れなかったのだろうか、もとい、気付かなかったのだろうか。
母は(中略)紬のズボンを持ってきてくれました(中略)私は母がくれた紬のズボンを穿かずに他の囚人にあげてしまいました。親族を頼って準備してきたはったい粉も、母が見ている前で囚人たちにすべて分け与えました。(中略)母は胸をかきむしって泣きました。
「お母さん、私は文なにがしの息子ではありません。文なにがしの息子である前に、大韓民国の息子です。また(中略)天地の息子です。ですから、彼らを先に愛してから、お母さんの言葉を聞き、お母さんを愛するのが道理です」(p.113 l.16-p.114 l.6)
→一体どのような道理なのだろう。母が苦労して息子のために持ってきた服や食べ物をその目の前で他の人に与えて母親を泣かせることが道理なのか。母の愛をないがしろにすることで愛や道理を語るのは矛盾している。母を愛することさえ出来ないのに、自分と無関係な人間を愛することが出来るのだろうか。またこのエピソードを踏まえたうえで後に家庭は愛を学ぶ大切な場所と説いているのを見るとまるで説得力がない。
第三章
世界で最も中傷を浴びた人(p.121)
→世界、という言葉を掲げながらも実際には朝鮮半島のみで話が完結している。
乞食をして回るときも、私はいつも堂々としていました。目ざといので、ぱっと見てご飯をくれそうにないと思うと、「われわれのように困った人を助けてこそ後で福を受けるのだ!」と言って、むしろ強気の態度でご飯をもらいました(p.122 l.14-16)
→「困った人を助けてこそ~」は施す側が言うべき言葉(情けは人のためならずと同義)で乞食にその権利はない。乞食である以上はご飯をもらったことに感謝すべきであるのに、それどころか「困っているのだから助けてくれて当然だろう」という態度で、感謝する姿勢が全く見えない。ましてや親切は他人に強要してもらうものではない。
かと思えば「もらい食いまでして命をつないだ身(p.134 l.1)」と卑屈な思いをしたかのような表現も見受けられる。
姜賢實は神学を勉強した人らしく、聖句をすらすらと語って私を攻撃しました。抜け目なくきっちり挑んでくるので、私も機関車のような声で一つ一つ忙しく対応しました(中略)その後、何度も継続して訪ねてきては私と討論を繰り広げ、姜賢實は(中略)私たちの教会の信徒になりました(p.130 l.6-11)
→どのような問答をしたのか、どのような説得をして教会に引き込んだのか、語るべき詳細が一切省かれている。ただ議論をして説得したというだけではこのエピソードには信憑性がなくなる上に挿入した意味が弱い。
ある日、妻が(中略)私を訪ねて来ました。彼女は六歳の男の子の手を握っていました(中略)妻があえて語らなくとも、戦争のさなかに彼ら母子が通過してきた苦労が目に浮かびました(中略)しかし、まだ家族の面倒を見る時ではありませんでした(p.130 l.12-p.131 l.2)
→母だけでなく、妻と子供をも愛さずにいたというエピソード。家族を愛せない人間がどうして愛だの家庭だのを語るのだろうか。「まだ家族の面倒を見る時ではない」とは言っているものの、子供が幼い時期が家族の面倒を見る時ではないとしたら、それはいつのことなのだろう。
当時の食口は、誰もが愛に酔っていました(p.134 l.4-5)
→序文p.4につけた指摘を参照。
世間の誤解は時が経てば自然と解けるので、それほど気を遣うこともないと考えました(p.139 l.2-3)
→では2015年現在、教会に対する誤解や偏見は解けたのだろうか? 時間による解決は本当の解決ではなく、ただ忘れ去られただけであり、誤解を解くための行動をしないのはただの怠慢、あるいは誤解されている内容を正しいと認めることになりかねない。
私をろくに見もしないで、ああだこうだと口から出まかせを言って何のためらいも感じないような連中は、どうしようもない人たちである(p.139 l.12-13)
→この言葉は本に関わった人々にそっくりそのままお返ししたい。この本の中にはデタラメが書かれているからである。
私たちの信徒の大部分は、それまで通っていた既成キリスト教会を去って私たちの境界に来た人たちです。まさにこの点が、既成キリスト教会から敵視された原因でした(中略)警察は、金活蘭総長や多くのキリスト教牧師から統一教会を非難する投書が届いたと明かしています。要するに、私たちが何か誤ったわけではなかったのです(p.144 l.14-p.145 l.1)
→本当に誤ったことを何もしていないのなら、既成キリスト教会に限らずそれほどの強い非難を受けることもなかったはずでは。何も悪いことをしていないのに弾圧されたというのは流石に無理がある。自叙伝を装っているので一方の視点からしか描けないのは仕方ないにしても、常に被害者であろうとする思想の現れに見える。
私をさらに困らせたのが当時の妻でした(中略)実家の家族と一緒になって私を追いかけ回し、離婚をせがみました(中略)しかしながら、神の願う平和世界を築く上で結婚がいかに重要かをよく知る私は、彼らからどんな侮辱を受けてもじっと耐えました。
彼女は私たちの教会と信徒にも言葉で言えないような乱行に及びました(中略)彼らが準備した離婚状に判を押さざるを得ませんでした(中略)先妻のことを思うと、今も気の毒な気がします。彼女がそこまでするようになった背景には、キリスト教一家であった実家と既存教会の煽動がありました。結婚する前はしっかりした女性であったのに、がらりと変わってしまったことを考えると、世の中の偏見と固定観念の恐ろしさというものを再認識せざるを得ません(p.146 l.2-p.147 l.2)
→ここまで妻や家族のことに関する記述が殆どなく、それどころかまともに顔を合わせてすらいないのでは、結婚の重要性を知っているという言葉が異様に薄っぺらい。つまり結婚というものは、書類上で成立してさえいればそれで良いと言っている訳である。
妻とその家族が離婚を迫った理由は間違いなくそれであろう。結婚したのにろくに妻や子供と長い間会わずにおり(「いつの間にかすっかり大きくなっていました」p.130 l.13-14)、会っても冷たくあしらって追い返すようでは、たとえ宗教上の対立がなかったとしても激怒して離婚を迫るのは必然である。
このような大きく明白な理由があるにもかかわらず、妻が教会への偏見のために変わってしまったと言って原因をすり替え、偏見は恐ろしいものだと言って責任転嫁をしている。これらをもってして「気の毒」に思っているだけで、決して自分に原因があるとは思っていないことが伺える。
祝福式(結婚式)のことです。祝福式を前にした新郎新婦に、私は必ず純潔であるかと尋ねます(p.149 l.8-9)
→文氏は子供を授かった妻と離婚しているため、すでに純潔を失っている。それならば何故彼は再婚しているのだろうか?
私は彼を真っすぐに睨みつけて、恐ろしい声で問い詰めました(p.149 l.11-12)
→すでに何度も指摘したように「恐ろしい」という主観的な判断に依存する言葉はこういう使い方をしないのが日本語である。自叙伝を装った三人称の文体であることが分かる。
その日、赤いチマを着た若い女と一線を越えたじゃないか。はっきりと分かっているのに、なぜ嘘をつくのか」
私は怒って彼を追い出しました。心の眼を開けていれば、何を隠していても全部分かるようになっています(p.149 l.15-p.150 l.1)
→この記述だけでは、追い出された青年が本当に「一線を越え」ていたのか、それともそうでもないのに文氏の妄言により無理矢理追い出されたのかが分からない。
「はっきりと分かっているのに、なぜ嘘をつくのか」、この言葉もこの本に関わったすべての人々にそっくりそのままお返ししたい。
重要なのは端正な姿形ではありません。その中に宿った意味です(中略)伝統を尊重することを知らない民族は滅びてしまいます(p.151 l.8-10)
→美容整形のためにミスコンをやると全員同じ顔になる人々、日本固有の文化を自分たちが起源を持っていると偽る人々。それが朝鮮人という民族である。
第四章
世界情勢を見たとき、日本を憎い敵とばかり考えて、無条件に排斥してはならないと思いました(p.156 l.8-9)
→その割には本書には反日感情を煽るような記述があまりにも多い。
当時は日本とまだ国交がなかったので、密航するしかありませんでした。密航は国法を破ることでしたが、日本宣教は必ずやらなければならないことでした。したがって、何があろうと困難はすべて耐え忍ぶしかなかったのです(p.157 l.1-3)
→宣教という言葉を隠れ蓑にすれば犯罪かどうかなど些事にすぎないという危険思想である。
満足にご飯を食べられない信徒が大勢いる中で、大金を狩りてでも彼(宣教師、引用者注)を送ったのは、それだけ日本宣教が急を要することだった(p.157 l.7-8)
→身近な人さえ救えていないのにそのようなことをする意味があったのだろうか。学費を犠牲にしてでも人に食べさせて来た人物が、派遣のための資金で一体何人を食べさせられるかとは考えなかったのだろうか。
私はすぐに海洋時代がやって来ると直感していました(p.161 l.11)
→字面と文脈から意味を類推出来るにしても「海洋時代」という造語を一般名詞のように使っている。
人々は、韓国の踊りとはどんなものか、五千年続いた韓国の文化とはどういうものかを全部忘れて(p.162 l.10-11)
私たちがいくら五千年の歴史を持つ文化民族だと主張したところで(p.162 l.14-15)
恨の多い五千年の歳月を生きてきた私たちの民族だけが作り上げることのできる(p.163 l.3-4)
数千年間続いた私たちの伝統を子孫に伝える(p.164 l.14)
→五千年の歴史と文化を持つという論拠はどこにあるのか。その年月は漢字の歴史よりも古いが、それよりも前に朝鮮半島には文字文化があったということなのだろうか。はっきりと分かっているのに、なぜ嘘をつくのか。
全世界から尊敬される人は、すでに韓国を世界万邦に伝えたといえます(p.165 l.10)
→そんなことは言えない。言えるだけの論拠がない。世界万邦が朝鮮半島を指す言葉であるなら仕方がないが。
一九六五年は、私が初めて世界巡礼に出た年です。トランクいっぱいに韓国の土と石を詰めて持って行きました。世界を回って、要所要所に韓国の土と石を埋めるつもりでした。(p.168 l.10-11)
ソウルに帰ってきた私のトランクには、四十カ国、百二十カ所の地域から持ってきた土と石がいっぱいに入っていました。韓国から持って行った土と石をその土地に埋めて、新たにその場所から持ち帰った土と石です(p.171 l.12-14)
→土砂は雑菌の塊。そんなものを世界中にばらまくのは、その土地の動植物に悪影響を及ぼすおそれがある。このような防疫上の理由で(少なくとも日本では)土砂の輸出入が禁止されている。当時に取り締まる法律がなかったとしても褒められた行動ではない。
私の目で直接見たヨーロッパは、完全にバチカン文化圏でした。バチカンを超えなければヨーロッパを超えることはできないと思いました(p.171 l.1-3)
→まるで侵略でもするつもりのような文章である。
ヨーロッパの人々が集まって祈りを捧げるバチカン(カトリック教会の総本山であるローマ教皇庁やサン・ピエトロ大聖堂がある)で、私も汗をぽたぽた流して祈祷しました(p.171 l.5-6)
→三行前にバチカンという言葉が登場しているのに、どうしてこの位置に注釈が入るのか。校正が全く入っていない上に文と文を適当に組み合わせているだけなのではないか。
アメリカは、世界的な四大漁場の中で何と三つを持っている国です。それは、全世界の魚の四分の三がアメリカを囲む海にいるという話です(p.175 l.3-4)
→まず、四大漁場というのが太平洋の北西と北東、大西洋の北西と北東であるとされる。アメリカが太平洋の北西あるいは大西洋の北東に漁場を持つというのは無理のあるロジックである上に、仮にそれが出来たとしても魚がその四大漁場にしかいない訳ではないため全世界の四分の三というのも明らかに無理がある表現。
東洋から来た小さな目の男が行う巡回講演は(p.183 l.3)
→この言い回しは講演を行うアメリカ側の視点であり、伝記ならともかく自叙伝としてはふさわしくない。自叙伝と言い張りたいのに穴だらけである。
講演には、宗派を超越して多様な若者たちが集まりました(中略)私が「自分の宗教を放っておいて、なぜ私の説教を聞きに来るのですか。早く帰ってください。帰って自分の教会でみ言を聞きなさい」と言うと、「ああ! ああ!」と大きく溜め息をつきました。そのようにして、だんだんと多くの人が集まり(p.183 l.11-17)
→帰りなさいと言ったのに人が集まる一方だった。論理的につながらない。
見た目にはまことしやかでも、中を見てみれば、醜くて悪いものが多いのです(p.184 l.8-9)
→まさに本書のことを言っているかのようだ。表紙に「文鮮明著」と書き写真も載せ、いかにも平和のために生きた人間の自叙伝であるかのように見せて、その中身は大きく異なっている。
娘の仁進(当時十九歳)も、彼らと腕を組んで一緒に行進しました。七千人以上の聖職者の前で、涙して書いた手紙を読み上げることもしました(p.196 l.8-10)
→ここまで娘がいたことは一切、生まれたことさえ描かれていない。扱いとしては並列されている牧師たちと同じく、実名を出されてはいるが出てくるのはここだけである。母親や先妻のエピソードから、文氏が家族を大切にするという人物像を結ぶことはとてもではないが不可能である。
つまり家族が解放に協力してくれたという話には特別な重みを感じさせない。そのような扱いを受けている娘が読み上げる手紙も同様で、本当に彼女が父を思って書いたものなのか疑わしい。
第五章
一九六〇年三月二十七日、私たちは婚約し、それから半月も経たない四月十一日に結婚式を挙げました(p.204 l.10-11)
→前の章でも指摘したように、結婚するまでは純潔を守るよう人に指導しておきながら、自分自身はそれで再婚している訳である。
妻は若くして本当にたくさんの訓練を受けました(p.206 l.14)
→試練の間違いでは? 訓練では意味が通らない。誤訳だろうか。
私が公的な仕事で忙しい時期に、私の子供たちは一年の半分近くを父も母もいない中で生活しなければなりませんでした(中略)わが家の食卓はいつもお客さんが優先で、子供たちは後回しでした。このような環境のために、子供たちは普通の家庭の子供であれば感じないような孤独を嫌というほど感じて育ちました。しかし、それよりももっと厳しい困難は、父親のことで受けなければならない苦痛でした(p.210 l.10-15)
→それだけ自分の子供たちに苦労をかけたのに、後に家庭は愛を学ぶ大切な場所と語るのか。
ところで、家庭生活において最も大変なのが息子・娘をきちんと育てることです(p.214 l.16)
子供は過程で親の姿を見て学ぶのであって、子供の教育にはそれが一番大事です(p.216 l.3-4)
→さて、これを言った本人は大事で大変な子育てにきちんと関わったのだろうか。第三章p.130-131を参照。
愛は神に似ていく過程であって、世の中で蔓延しているような自分勝手に楽しむものではありません(p.217. l.9-10)
→「愛を自分勝手に楽しむ」と「愛に酔う」はどう違うのだろうか。
父母は、子供たちにとって第二の神様です。「神様が好きか? お父さんとお母さんが好きか?」と尋ねて、「お父さんとお母さんが好きです」と答えたら、それはすなわち「神様も好きだ」という意味です(p.218 l.8-10)
→全く話が繋がっていない。そもそも質問を二つ投げられ、その一方にしか答えていないのに両方に答えたことになるのは明らかにおかしい。子供にとって父母が第二の神様であるならば、第一の神様も別にいるということであり、第二の神様を愛しているからといって必ずしも第一の神様を愛していることにはならない。
教育の最も大事な部分を担っているのが家庭です。幸福も平和も、家庭の外にはありません。家庭こそが天国です。いくら莫大なお金と名誉を持ち、世界をすべて手に入れたとしても、健全な家庭を築くことができなければ、その人は不幸です(p.218. l.10-12)
→先妻と子供を遠ざけて養育を放棄し離婚、再婚した後も子供に孤独や非難に満ちた思いをさせる、これが健全な家庭だと言うつもりだろうか。これが幸福な家庭なのだろうか。ここまで語ってきた人生と講釈の内容が正反対である。
大家族制度は韓国の美しい文化です。
私は、三代が一緒に暮らす家庭を勧めています。韓国の伝統を守るためだけではありません(p.222. l.3-4)
→大家族制度は、何も朝鮮半島に限ったことでもないはずである。世界中を回ってきたならば、他にも一つや二つ見ていることだろう。韓国の文化が素晴らしいと言いたいだけ。
年をとった人を無視することは、その国の国民性を捨てることであり、民族の根を無視することと同じです(p.223. l.1-2)
→何故老人の言葉を聞くことと国民性を守ることが繋がるのだろう。
交叉祝福とは、宗教、国家、人種を超越して、男女が結婚で結ばれることを意味します。農村に行けば、結婚できない青年たちがあふれています。交叉祝福で韓国の農村の青年たちと結婚した新婦たちは、どのような条件も付けずに韓国に来て夫に会い、家庭を築いて暮らしています(p.224 l.11-14)
→この書き方だと、農村の青年らの出会いの場として教会が機能したのではなく、教会が外国籍の女性を青年らと無理やり結婚させて連行してきたかのように見える。
最近も、八月十五日の光復節になると、「日本人が犯した罪を謝罪します」と言って頭を下げる、特別な日本人の姿がテレビニュースに登場します。自分が直接犯した罪ではないのに、先祖が犯した罪を代わりに謝罪するのです(p.225 l.8-10)
日本人が犯した罪を日本女性の嫁が代わりに償ったのです。人類が平和世界に向かう贖罪の道とはこのようなものです(p.225 l.8-10)
→反日感情を煽るための文章。平和のためには謝罪が必要だと言っているように装いながら、日本人は南朝鮮に謝罪し続けるべきだと言っている。実際、すでに国としての謝罪は済んでいるはずである。
彼らのおかげで、日本を怨讐(深い怨みのあるかたき、敵)のように思っていた私たちの心の壁を大きく崩すことができました(p.225 l.11-12)
→ならば、何故本書には反日感情を助長するかのような文章が溢れているのか。
世界平和とは、その言葉どおりに雄大なものではありません。家庭が平和であってこそ社会が平和になり、国家間の葛藤が消え、それがあってこそ世界平和への道が開かれます(p.229 l.2-3)
→これを言っている自身の家庭は果たして平和であったという記述が本書にあっただろうか。
また、この文章では「それ」が指し示すものが不明瞭である。
結婚は二人がするものですが、実際には二つの家系が因縁を結ぶことであり、さらには、二つの氏族、二つの国が融和することです。異なる相手の文化を受け入れ、歴史の中で生じた怨恨を克服して一つになっていきます(p.229 l.6-8)
→途中から結婚の意味が国際結婚(教会の用語だと交叉祝福)の話、とりわけ歴史的軋轢のある国同士の出身者での結婚になっている。ここまででは、一般的な意味での結婚と、国際結婚(交叉祝福)とがきちんと区別されている。
また、因縁という言葉は訳として不適切。現代日本語ではこの言葉にはネガティヴなイメージが伴うことが多いからである。
韓国でも、最近になって外国人との結婚が(中略)増えてきました。新しい言葉で「多文化家庭」と呼ばれています。互いに異なる環境で成長した男女が家庭を持ち、仲良く暮らすことはそれほど簡単ではありません(中略)
多文化家庭がきちんと定着できるよう、地域の社会団体では、韓国語も教え、私たちの文化を紹介するプログラムも運営しています(p.229 l.12-p.230 l.3)
→多文化というのは言うまでもなく複数の文化が混在することである。しかしながらこの定着のためのプログラムは、これを読む限り外国人の配偶者に朝鮮の文化を教えこむ一方的なものである。これでは単一文化である。
家庭は父母の真の愛を受けて愛を学ぶ所です。幼少期に愛されなかった子供たちは、生涯愛に飢え、情緒的な苦痛を受けるだけでなく、家庭や社会のために当然すべきことがあるという高い道徳的な義務を学ぶ機会を失ってしまいます。その意味で、真の愛は、家庭以外の場所では決して学ぶことができない価値だといえます(p.232 l.2-5)
→文氏は少なくとも、最初の妻との間に生まれた子供を幼少期に全く愛さなかったことが本書に記されている。つまりここでは家庭での真の愛の大切さを語っているものの、言っている本人がそれを成し遂げられていない訳である。
ですから、「離婚」という言葉はあり得ません(p.232 l.9-10)
→離婚した人間が言っているのだから、これは寝言か妄言、全く説得力のない言葉である。それとも先妻などいなかったとでも言いたいのだろうか。はたまた、自分だけが例外だとでも言うつもりだろうか。
「良心」に、「私は今、正しく生きているか?」といつも尋ねなければなりません(p.234 l.11-12)
→では、このような嘘や矛盾だらけの本を出すことは正しく生きることなのだろうか。
「人生八十年」と言います(中略)その中で、眠る時間、生活の資を得る時間、遊ぶ時間、諸々の雑事に追われる時間などを除外すれば、まずか七年しか残らないといいます。私たちがこの世に生まれて八十年を生きても、本当に自分自身のために使える時間はわずか七年だけです。
(中略)その七年の歳月だけが、八十年の生涯を生きて自分がこの世に残す痕跡なのです(p.235 l.17-p.236 l.11)
→「生活の資を得る時間、遊ぶ時間、諸々の雑事」の中には自分自身のための時間が全く含まれておらず、自分が生きた証を遺すのに何の役にも立たないと言っている。何故そう言い切れるのだろう。「生活の資を得る時間」すなわち仕事は自分(と家族)が生きるためにすることであるし、歴史に名だたる偉人の中にはその仕事中に名を残す業績をなした人も少なくない。遊ぶ時間もやはり自分自身のための時間であるし、「諸々」の中に一切含まれていないと断言するのは無理がある。
人が生まれて死ぬことは、自分の意志によるものではありません(中略)自分が生まれようとして生まれたのではなく(中略)死ぬとしても自分が死のうと思って死ぬのではありません。(p.236 l.12-15)
→人間は自殺が出来るという事実から目をそらしてはいけない。
世の中の大概の罪は、「個人」を優先するときに生じます。個人の欲心、個人の欲望が隣人に被害を与え、社会を滅ぼすのです(p.239 l.4-5)
→個人よりも国を優先した結果嘘の情報を世界にばらまいている朝鮮人。日本固有の領土や文化を自分たちのものだと世界中に喧伝することは罪であろう。
第六章
私は共産主義の唯物史観に反対する者です(中略)私たちの運動を快く思わない共産国家は、私を亡き者にしようとテロを試みたりしましたが、私は彼らを憎んだり、敵と思ったりはしませんでした。私は共産主義の思想と理念に反対しているのであって、その人たちを憎んだのではありません(p.252 l.10-14)
→これだけ反日感情を煽る文章(=日本を憎んでいるということ)を書き連ねているのに、自分を殺そうとした人々を憎んでいないというのは説得力がない。
ゴルバチョフ前大統領は、私たちが真心を込めて準備したプルコギ(焼肉)とチャプチェ(春雨と野菜、肉などを炒めた韓国料理)を箸で美味しそうに食べました。デザートの水正果を称賛しながら、(p.257 l.16-p.258 l.1)
→何故水正果だけ注釈が入っていないのだろうか。
朝鮮半島は世界情勢の縮図です。朝鮮半島で血を流せば世界が血を流します。朝鮮半島が和解すれば世界が和解し、朝鮮半島が統一されれば世界が統一される(p.259 l.15-16)
→何を論拠に言っているのだろう。
すると金主席(引用注:金日成)も、「同感です。来年からは南北の別れた同胞がお互いに家族に会う運動を始めましょう」と、春の雪が解けるようにすぐ応じてくれました。(中略)
「文総裁、少し考えてみてください。私が誰かを殺そうと思って核爆弾を作りますか? 同族を殺しますか? 私がそのような人間に見えますか? 核が平和目的にのみ使われなければならないということには私も同意します。文総裁の話を心して聞いたので、うまくいくでしょう」(p.264 l.9-17)
→本当に金日成がこのようなことを言ったのなら、なぜ朝鮮半島情勢は悪化する一方なのだろう。
朝鮮半島は地球に唯一残った分断国家です(p.269 l.11)
→本当にそうだろうか? アイルランドと北アイルランドのような例もある。
韓民族は世界に平和を伝達する配達人として生まれたのです(p.270 l.12)
→潘基文の平和を考えていない一連の行動、ロンドン五輪のサッカーをはじめとする一連の不祥事、これらをとって見ると、韓民族とは平和どころか自分のことを一番に考える自己中心的な民族である。
私は北朝鮮を故郷、兄弟の家と思って訪ねていきました(p.275 l.10)
→「私は平安北道定州郡(中略)次男として生まれました(p.20 l.16-17)」とあるように、地図で見ても文氏は現在の北朝鮮の生まれである。故郷である場所を「故郷と思って」訪れることなど不可能である。
アメリカで日刊紙「ワシントン・タイムズ」を創刊してから(p.277 l.16)
→この「ワシントン・タイムズ」なる新聞についてはここまで一切の記述がない。
このように世界的な犠牲を払ったにもかかわらず、いまだに朝鮮半島の統一は訪れていません(p.278 l.12-13)
→このように、とは書いてあるもののその前の段落の内容は朝鮮戦争に国連軍が介入しなければ分断されていなかったという南側の世論、その前はアメリカ人の祝辞、その前が朝鮮戦争に関わった国々の多さ、といった構成になっており、「世界的な犠牲」あるいは被害に相当する文言はどこにもない。この段落だけ別の場所からそのまま引っ張ってきたか、直前の段落をごっそりそぎ落として前後の修正をしなかったかであろう。
朝鮮半島に平和世界を構築することは意外に簡単です(p.280 l.6)
→ならば何故なかなか統一されないのだろうか。
第七章
世界文明の方向は、絶えず西進しながら発達してきました。すなわち、エジプトの大陸文明とギリシャ・ローマの半島文明を経てイギリスの島嶼文明が発達し、再びアメリカの大陸文明に移っていきました。文明は継続して西進し、太平洋を渡って日本に行きました(中略)今や朝鮮半島に移ってきているのです(p.284 l.2-6)
→古代文明という話であればエジプト以外にもアラビア、中国、中米にもあるし、中世にも近世にも欧米の他に文明が花開いていた場所があった。したがって文明がエジプトを出発地として西に向かい続けたという理屈には無理があるし、朝鮮半島がゴールであると言いたいがためにこじつけただけである。
いくら高い山の頂上に置かれた石だとしても、落ちるときは谷底に落ちていきます。西洋文明の最後がまさにそれです。科学の力を借りて目覚ましい発展を遂げましたが、精神的な没落によって、すでに谷底に向かって落ちていっています。その谷底がまさに数千年間精神文化を築き上げてきた東洋です(p.286 l.6-9)
→頂点に上り詰めたのが産業革命をはじめとした科学技術であることは想像できるが、西洋が谷底に現在進行形で落ちているという具体的な論拠は説明されていない。
その中でも、朝鮮半島は東洋と西洋の文明が出会う場所であり、大陸文明と海洋文明が出会う所です(中略)今は、これまで栄えてきた大西洋文明時代が過ぎていき、新しく環太平洋文化圏の時代が開く時です。環太平洋文化圏の中心はアジアです。韓国を中心とするアジアが新しい歴史の主人公になります(p.286 l.10-16)
→すべての文について、一切の論拠がないままに語っている。朝鮮が世界の中心になると言いたいがためにこじつけている。
私たちは数多くの苦難を経験しましたが、誰も敵として憎まない民族です。私たちを苦しめた隣人はいろいろいましたが、不倶戴天の敵にはなりませんでした。
韓民族の心のなかには、敵までも愛する心があります。敵を愛して受け入れようとすれば、絶えず自分を治めなければなりません。自分の心がすっかり膿を出し切った後にこそ、敵を愛し得る心の余裕が生じるのですが、韓民族はまさにそのような心を持ちました(p.287 l.9-14)
→本書の随所でさんざん日本に対する憎しみを書き連ねておきながら、なおこういうことを言えるのは何故か。朴槿恵の政治を見た上でなお南朝鮮人は誰も憎まない民族だと言えるのだろうか。
いくら食べる物に困っても、先祖の墓を売ってまで食べる物を求めることをしないのが韓民族です(p.288 l.3-4)
→そもそも、貧しさ故に墓を売る民族がいるのだろうか。
韓国の言葉には、人の心情を表現できるさまざまな形容詞と副詞が非常に豊富です。この世のいかなる国の言葉も、人の複雑な心を韓国の言葉ほど繊細に表現できません(中略)ハングルもまた、どれほど素晴らしいでしょうか(中略)このように美しい意味を持つ文字を使う国は韓国だけです。デジタル時代となり、ハングルの優秀性がより大きく現れています。子音と母音の単純な組み合わせだけで、人間がこの世で出すあらゆる音を全て記すことができるのですから、本当に驚くべきことです(p.288 l.14-p.289 l.4)
→本当に驚くべきことである。この与太話を堂々と語り、あまつさえ信じる人がいることに、である。
朝鮮語は世界で最も繊細な語彙をもつ言語である、と言ってはいるが、それを言えるのは当然ながら、地球上のありとあらゆる言語――言葉を持つのは人間だけでないことにも留意されたい――に精通した人間だけである。とはいっても、生涯を言語研究に捧げたのでもなければそんなことは到底不可能である。ここまでに世界の言語について触れたことは、せいぜい日本語を勉強したことと辞書編纂の指示をしたことくらいである。つまり、もっとも繊細な言語だと言うのは論拠のない自己陶酔にすぎない。
また、母語でない言語を少しでも知っているならば、ハングルが人間が出す全ての音を表すことなど出来ないと分かるはずである。朝鮮語の表記のために作られた文字が、どうして未知の言語の音も表せると断言できるのか(日本語のために生まれたひらがなでLightとRightの音の書き分けが出来るかどうか想像してみると良い)。事実、日本語も英語もフランス語も、ハングルで完全に音を模倣して書き連ねることは不可能である。
つまり、ここに書かれていることは嘘八百と明らかな矛盾である。
またここでは「さまざまな」と「非常に豊富」が重複表現である。
韓民族は、絶対に人の世話にはならないという独特な性格をもっています(p.289 l.13)
→1997年、IMFによる資金援助。
韓民族は、今まで自分たちが愛するものをすべて奪われました。日本統治時代には大切な国を奪われ(p.290 l.13-14)
→反日感情を煽る文章。「今まで」「すべて」と言いながらも「奪った」としているのは統治時代の日本だけである。
韓国が中心となった海洋時代が開かれるという事実を知ったのなら(p.304 l.11)
海洋時代が訪れてくるということは、韓国に世界を変えるチャンスが来るということ(p.307 l.13)
→どこにそのような事実があるのだろうか。
海を占領する国が、世界をリードすることができるのです。海を占領した国の文化と言語が世界の言語と文化となる世の中がすぐにやってきます(p.305 l.9-11)
→領海や排他的経済水域は国連海洋法条約で決まっており、占領すると言うとそれは条約違反の侵犯行為になるのでは。また、そのような時代が訪れる論拠がない。
私は、太平洋文明圏の中心となる所を求めて、何度も韓国の南海岸一帯を回ってみました(p.308 l.12)
→何故中心になるのが韓国と決めつけてそこしか回らないのか。太平洋とは、朝鮮半島の周辺の海を指すのだったか。
自然を大切にして保護する近道は、自然を愛する心を持つことです。道を歩いていて一株の草を見ても、涙を流すことができなければなりません。一本の木を抱きかかえて泣くことができなければなりません。(p.316 l.5-7)
→そもそも自然保護に関心を持っている時点で自然を愛しているのでは。近道とは言っても、いきなり道端の草を見て泣くのは大げさにすぎないだろうか。それに、どれだけ愛していてもそこまで出来る人はそうそういないだろう。
単純に食べ物を与えるだけでは飢えを解決することはできません(p.317 l.10)
私が直接魚を釣る理由は、魚の釣り方を知らない人たちにその方法を教えるためです(p.319 l.13-14)
食べる物がなくて死んでいく人に一握りのパンをあげるよりも、当面は苦労して日の目を見なくても、小麦を植えて収穫しパンを作る技術を教えなければならない(p.322 l.6-7)
→この考え自体は間違ってはいないのだが、別のページで、「川に魚がいるにもかかわらず、釣り方が分からなくて家族を食べさせられない南米の父親」に会った時には「食べ物を少し分けてあげただけ」(p.4 l.2-4)と書いている。
私たちが見慣れない人に会えば、「あなたは誰ですか」と尋ねるように、神様も私たちに尋ねられます。そして、神様は、「私は青年です」という答えを一番喜ばれます。なぜなら、人生で最も大切で、もっとも美しい時が青年時代だからです(p.326 l.16-p.327 l.1)
→「なぜなら」が全く機能していない。「誰」かと聞かれて「青年」と答えるのでは、対話が成立していない。質問に真っ当に答えないほうが喜ぶとは、神様は実にねじまがった思考をお持ちのようである。
神様を愛することにより、私の人生は完全に変わりました。自分よりも人類をもっと愛し、私と私の家族の問題よりも人類の苦痛を先に考える人になったのです(p.322 l.13-14)
→目の前にいる家族の問題さえ解決しない者が、見えない場所にいる人間を救えるのだろうか。
志を立てるということは、自分が生きていく人生の意味を決めることです(中略)サッカー選手になるにしても、自国の名を万邦に轟かせ(p.330 l.9-11)
→サッカー選手になるための志が国の名前を世界にアピールすることとは、本末転倒である。これが朝鮮人のスポーツに対する考えであるならば、オリンピックやスポーツの国際大会で様々な問題を起こしたのも納得である。
私は、礼拝や特別な行事がある日でなければ、ネクタイをしません(中略)家にいる時は、普通のセーター姿です(中略)いま外で火事が起きたとします。セーター姿の私とネクタイを結んだ人とでは、どちらが先に飛び出していくことができるでしょうか(p.336 l.15-p.337 l.4)
→何故服装一つでそこまで差がつくと思っているのだろうか。差を語るにも条件を足せば意味がなくなる。では、セーターの太った人と、礼服姿の細身の人とではどちらが先に飛び出していくことができるでしょうか。
日本語版によせて
世界は豊な先進国と、自分の力だけでは生きていくことができない発展途上国に分かれている。先進国は自国を犠牲にしてでも発展途上国を助けようという国がない(p.370 l.15-16)
→ごく当たり前のことである。また「絶対に人の世話にはならないという独特な性格(p.289 l.13)」の朝鮮人に言われても、まるで説得力がない言葉である。
日本は神の摂理的な観点から見れば(p.378 l.13)
→突如として現れた謎の専門用語。急に内輪でしか通じない話をし始めており、どのような読者を想定して本稿が書かれたのか察することが出来る。
列挙したのは全て、書籍として、世界平和に貢献した人間の本として、あるいは常識的に見て、おかしいと言える点である。この本を読んで感動できるものでは到底ないという様々な理由である。教会の信者ならば誰でも構わない、論理的な説明をしてみて欲しい。
ただし、反論の際には統一教会の教義や価値観を基準に用いないものとする。以下に並べた指摘点は、本書の内容と一般常識のみに準じているものだからであり、また、教義を知っていないと理解・解説できない時点で本書が統一教会の信者のために書かれた教本であるとみなされるからである。信者ではない人にも配っている以上、本書だけでは理解できないが何故なら教本なのだから、ということはありえないはずである。
なお、誤訳に基づく誤解があったとしてもそれを論拠にしてはならないものとする。誤訳だとしてもそれに基づいた内容に感動した人がいるという事実は揺るがないからであり、それに反論するためのリストだからである。
歴史認識に対する問題は、1965年の日韓基本条約にのっとり全て解決済みの事案であるとみなす。
なお、引用ページ(p)及び行(l)の表記は2011年9月発行の文庫増補版による。
先生方の中には、私の質問に答えられず、逃げていった人が少なくありません(p.71 l.7)
教会員の方は、文氏に逃げられた先生方のようには逃げずに、きちんとお答え頂きたい。
タイトル
原著は、文鮮明先生ご夫妻の生涯を著した(中略)をベースに、出版社側が約二年間にわたって直接、文先生にインタビューして整理したものと聞いています(p.348 l.11-13)
文先生の生の声(自叙伝)を、こうして日本の皆様にお届け(p.350 l.1-2)
→出版社の人間が匿名で編纂・執筆した本、ということであり、表紙に書かれている「文鮮明自叙伝」「文鮮明著」の文言と矛盾する。自叙伝とは「自」の文字が入っていることからも分かるように、自分で直接書いたものでなければならない。また、それを自覚していながらなお自叙伝だと言い張っている。すなわち、嘘だと分かった上で嘘を掲げ続けているのである。
序文
平和もまた、神様が何の見返りも求めず、ただで下さったものです(p.3 l.15-16)
→平和が与えられなければ手に入らないということは、あらゆる生命体が本質的に望むのは戦争であるということか。
私は愛の力に酔って(p.4 l.4-5)
→愛や施しは自分が酔いしれるために与えるものなのか。少なくとも「酔う」という言葉は良い印象を伴わない。
北朝鮮の金日成主席と会い、朝鮮半島の平和について話し合いました(p.4 l.10-11)
→トップが世代交代したとはいっても、昨今のニュースを見る限り状況は悪化する一方。今の状況に良い影響を与えたとは思えない。
しかし今、私はわが祖国韓国で平和の世界が大きく開いていく希望を見いだします(p.4 l.17)
→この本(もとい序文)を書いてから3年後の2012年、南朝鮮人は平和など考えていないことを世界にアピールした(cfロンドン五輪サッカー)。
生涯に六回も主権と国境を超えて、無実の罪で牢屋暮らし(p.5 l.10-11)
→それだけの回数投獄されて、全て冤罪だったと主張するのはさすがに不自然。国や時代が変われば逮捕される基準が変わるのも当然で、それ相応の理由があったはずである。被害者であることを良いものと考える中国朝鮮的思想ではないのか。
第一章
森の中の生命は争いません。もちろん互いに食ったり食われたりですが、それは空腹で仕方なくそうしているのであって、憎しみからではありません(p.15 l.11-13)
→空腹であったのならば、どんな争いも仕方のないものとして認めて良い、空腹だったからと言い訳すれば何でも許せるということか。また、動物が争うのはなにも食料を求める時に限らない。繁殖期に同種同士で、あるいは縄張りをめぐって争う生き物は少なくない。
悪しき指導者は、自らの腹黒い野心を満たすために宗教と民族主義を利用します(p.18 l.9)
→少なくとも『原理講論』や本著の中には、南朝鮮人が最も優れているという民族主義を利用している記述が多数見受けられるし、キリスト教と南朝鮮を結びつけてキリスト教を利用している。本著は表紙ですでに嘘を掲げて嘘の内容を記した本であるが、これを出させる人間は悪しき指導者ではないのだろうか。
間違った行動は見過ごしにできず、子供たちの喧嘩があると、まるで近所の相談役にでもなったかのように、必ず間に入って裁定し、非のある方を大声で怒鳴ったりしました。(中略)「お祖父さん、お宅の孫がこんなひどいことをしたので、ちゃんと指導してください」とはっきり忠告したこともあります(p.25 l.1-5)
私に鼻血を出させて逃げていった子供の家に一月も通い詰めたあげく、その子と会って、親からは謝罪を受け、餅まで一抱えもらってきた(p.38 l.4-6)
一度決心すると絶対に譲歩しませんでした(中略)過ちを犯したのは私だと分かっていても、母が何か指摘すると「違う。絶対違う!」と言ってぶつかりました。「間違っていました」と一言で済むのに、死んでもその言葉を口にしませんでした(中略)(言うことを聞かないので母が)目の前でおいおい泣き始めるではありませんか。その姿を見ても、まだ間違っていたとは言いませんでした
(p.37 l.11-p.38 l.1)
→他人の非を赦さずにとことん追い詰める一方で、自分が追いつめられる側に回ると一転して非を認めようとしないダブルスタンダード。いわゆる「他人に厳しく自分に甘い」のである。これらのエピソードには反省の言葉や教訓が付されていない。語り口から言っても自慢話のようですらある。このような考え方が平和を生むのだろうか。世界中の誰もが彼のようであったら、衝突しか起こらず、世界は今よりもっと悪い状態になっていたはずである。
行動は荒っぽく見えても、本当は情が深い子供でした(p.25 l.6)
ねだっても嫌われなかったのは、私の中に温かい情があると大人たちが知っていたからです(p.25 l.8-9)
→地の文が「私」なのに、この文体は三人称的。自伝を装っていることが伺える。
われわれが日本よりもっと力が強ければ、そうはならなかったのに(p.31 l.17-p.32 l.1)
→反日感情を煽るための記述。もっとも南朝鮮人は、政治的な力を持つと潘基文や朴槿恵のようになり、経済的な力を持ってもナッツリターン事件を引き起こす国民である。強い国だったらそうならなかったとは言い切れない。
父はいつも「小手先の企みで真理を曲げることはできない(中略)小手先の企みで何をしようと、数年も経たずにぼろが出るものだ」と言っていました(p.36 l.14-16)
→まるでこの本のようだ。小手先の企みで素晴らしい人生を知らしめようとして、結局は文鮮明という男と統一教会が嘘と虚飾にまみれていることを知らしめてしまっている。
糸車に入れる際のほぐした綿の固まりを平安道の言葉で「トケンイ」と言います(p.40 l.7-8)
→トケンイという言葉は朝鮮人にとっても耳慣れない言葉なので解説しているのだろうが、この言葉はこの一文にしか出てこず、まるで意味のない文。文脈など無視して文を切り貼りしているように見える。
「日本人はどうぞ日本に帰りなさい」(p.53 l.2)
「日本人は一日も早く荷物をまとめて日本に帰りなさい。この地は(中略)先祖から受け継いだ遺産です!」(p.56 l.5-6)
→反日感情を煽るための文言。
第二章
猫頭山(標高三一〇メートル)(p.58 l.15)
→意味のない注釈。朝鮮半島には高い山がないのだろうか。
次第にひどくなる日本の圧政とわが民族の悲惨な立場(p.60 l.10-11)
日本に国を奪われたわが国の悲劇はいつ終わるのか(p.61 l.13)
金九先生の大韓民国臨時政府(金九は当時主席)と緊密に連携しながら、同臨時政府を支援する仕事を受け持ちました(p.80 l.6-8)
遠からず日本は滅びますから、泣かないでください(p.94 l.15)
→反日感情を煽るための記述。
私は(中略)神に尋ねました。「神様、本当にいらっしゃいますか」と尋ねて、神が確かに実在することを知りました。「神様にも願いがありますか」と尋ねて、神にも願いがあるという事実を知りました。(中略)こんな私でも神に用いられるところがあると知りました(p.67 l.9-12)
→尋ねることしかしていないのに「何故」「どのようにして」それらを知ったのか。その説明が一切抜け落ちている。
わが民族を悲しみと絶望に陥るままにしておいてはならない(中略)韓民族の偉大さを世界に知らせる方法を探し求めなければ(p.68 l.6-8)
→結局のところ、世界平和を謳いながら朝鮮半島が世界の中心だと思い込みたいだけではないのか。
私はめったに話さない学生でした。他の友達のようにぺちゃくちゃ話すこともなく、一日中一言も離さないこともよくありました(中略)同級生は(中略)悩みがあればまず私のところにやって来て、私の意見を聞くということが頻繁にありました(p.71 l.2-6)
→明らかな矛盾。どちらかが嘘である。
新しい公式を学ぶと、「その公式を誰が作ったのですか。正確に理解できるように初めから丁寧に説明してください」と先生に噛み付いて、授業を引き伸ばしました。(p.71 l.8-9)
→他の生徒の迷惑を考えていない行為である。
私の話は抜群に面白くて、子供たちがとても喜びました(p.75 l.10-11)
→面白い、という主観的な言葉を自分の話について形容し断定するのは奇妙。三人称的な表現で、自伝を装っていることを伺わせる部分である。ここが原文の直訳だとしても日本語として不自然な翻訳で、普通は「面白かったようで」と書くべきである。
無口で、別段面白みもない私を(p.76 l.14)
二十六歳の若々しい青年が(p.97 l.16)
→同上。
日本留学時代も(中略)先生方に向かって質問を浴びせました。(中略)私は、疑問が生まれると、必ず根っこまで掘り下げて解決しなければ納得できないのです(中略)どうせ勉強するなら、それくらい徹底してやらないと意味がないと思いました(p.79 l.6-11)
→先生と問答が出来るだけの語学力があるなら、本で勉強するという手もあったのではないか。そうしなかったのは何故か。
電信柱を載せたリヤカーを引いて華やかな街灯がともる銀座を通った時、交差点の途中で信号が赤になってしまい、その場に立ち止まったために、道行く人々がびっくりして逃げていった(p.81 l.15-17)
→このエピソードで何を言いたいのかが分からない。例えば、朝鮮とは交通ルールが違ったという異文化交流エッセイ的な側面を持たせたいのならそう書くべきだし、こんなことがあったおかげで東京の街の隅々まで分かるようになったというのであれば話がまるでつながらない。眼中には自分のことしかない、交通ルールや常識や他人がどうあろうが関係ないと言いたいのだろうか。
日本人が三日かけてする仕事を、韓国人は一晩でやってのけます(p.82 l.10-11)
→それほどに勤勉であるならば、どうして日本ほど朝鮮は先進国になれないのだろう。
金仁珠夫人の義父は平壌で有名な長老でした(p.99 l.17)
→この金仁珠夫人なる人物はここが初出。まるで小説の書き出しのような書き方をしつつ、次の文でメインとなるのは義父ではなく夫人の方。文章としておかしい。
拷問ごときに屈服して同情を買う程度のいくじなしの私ではありません(p.102 l.16-17)
→拷問の様子を描写するのは同情を買って欲しいからではないのか?
一月近くマラリアにかかっていても、私が仕事をできなければ他の囚人たちが私の分までやらなければなりません。そうならないように、一日たりとも休みませんでした(p.107 l.11-13)
→それほど長期間に渡る病気にかかっていながら健常者に混じって仕事をしていたというのは不自然。マラリアは単なる風邪ではない。他の囚人への感染を看守は恐れなかったのだろうか、もとい、気付かなかったのだろうか。
母は(中略)紬のズボンを持ってきてくれました(中略)私は母がくれた紬のズボンを穿かずに他の囚人にあげてしまいました。親族を頼って準備してきたはったい粉も、母が見ている前で囚人たちにすべて分け与えました。(中略)母は胸をかきむしって泣きました。
「お母さん、私は文なにがしの息子ではありません。文なにがしの息子である前に、大韓民国の息子です。また(中略)天地の息子です。ですから、彼らを先に愛してから、お母さんの言葉を聞き、お母さんを愛するのが道理です」(p.113 l.16-p.114 l.6)
→一体どのような道理なのだろう。母が苦労して息子のために持ってきた服や食べ物をその目の前で他の人に与えて母親を泣かせることが道理なのか。母の愛をないがしろにすることで愛や道理を語るのは矛盾している。母を愛することさえ出来ないのに、自分と無関係な人間を愛することが出来るのだろうか。またこのエピソードを踏まえたうえで後に家庭は愛を学ぶ大切な場所と説いているのを見るとまるで説得力がない。
第三章
世界で最も中傷を浴びた人(p.121)
→世界、という言葉を掲げながらも実際には朝鮮半島のみで話が完結している。
乞食をして回るときも、私はいつも堂々としていました。目ざといので、ぱっと見てご飯をくれそうにないと思うと、「われわれのように困った人を助けてこそ後で福を受けるのだ!」と言って、むしろ強気の態度でご飯をもらいました(p.122 l.14-16)
→「困った人を助けてこそ~」は施す側が言うべき言葉(情けは人のためならずと同義)で乞食にその権利はない。乞食である以上はご飯をもらったことに感謝すべきであるのに、それどころか「困っているのだから助けてくれて当然だろう」という態度で、感謝する姿勢が全く見えない。ましてや親切は他人に強要してもらうものではない。
かと思えば「もらい食いまでして命をつないだ身(p.134 l.1)」と卑屈な思いをしたかのような表現も見受けられる。
姜賢實は神学を勉強した人らしく、聖句をすらすらと語って私を攻撃しました。抜け目なくきっちり挑んでくるので、私も機関車のような声で一つ一つ忙しく対応しました(中略)その後、何度も継続して訪ねてきては私と討論を繰り広げ、姜賢實は(中略)私たちの教会の信徒になりました(p.130 l.6-11)
→どのような問答をしたのか、どのような説得をして教会に引き込んだのか、語るべき詳細が一切省かれている。ただ議論をして説得したというだけではこのエピソードには信憑性がなくなる上に挿入した意味が弱い。
ある日、妻が(中略)私を訪ねて来ました。彼女は六歳の男の子の手を握っていました(中略)妻があえて語らなくとも、戦争のさなかに彼ら母子が通過してきた苦労が目に浮かびました(中略)しかし、まだ家族の面倒を見る時ではありませんでした(p.130 l.12-p.131 l.2)
→母だけでなく、妻と子供をも愛さずにいたというエピソード。家族を愛せない人間がどうして愛だの家庭だのを語るのだろうか。「まだ家族の面倒を見る時ではない」とは言っているものの、子供が幼い時期が家族の面倒を見る時ではないとしたら、それはいつのことなのだろう。
当時の食口は、誰もが愛に酔っていました(p.134 l.4-5)
→序文p.4につけた指摘を参照。
世間の誤解は時が経てば自然と解けるので、それほど気を遣うこともないと考えました(p.139 l.2-3)
→では2015年現在、教会に対する誤解や偏見は解けたのだろうか? 時間による解決は本当の解決ではなく、ただ忘れ去られただけであり、誤解を解くための行動をしないのはただの怠慢、あるいは誤解されている内容を正しいと認めることになりかねない。
私をろくに見もしないで、ああだこうだと口から出まかせを言って何のためらいも感じないような連中は、どうしようもない人たちである(p.139 l.12-13)
→この言葉は本に関わった人々にそっくりそのままお返ししたい。この本の中にはデタラメが書かれているからである。
私たちの信徒の大部分は、それまで通っていた既成キリスト教会を去って私たちの境界に来た人たちです。まさにこの点が、既成キリスト教会から敵視された原因でした(中略)警察は、金活蘭総長や多くのキリスト教牧師から統一教会を非難する投書が届いたと明かしています。要するに、私たちが何か誤ったわけではなかったのです(p.144 l.14-p.145 l.1)
→本当に誤ったことを何もしていないのなら、既成キリスト教会に限らずそれほどの強い非難を受けることもなかったはずでは。何も悪いことをしていないのに弾圧されたというのは流石に無理がある。自叙伝を装っているので一方の視点からしか描けないのは仕方ないにしても、常に被害者であろうとする思想の現れに見える。
私をさらに困らせたのが当時の妻でした(中略)実家の家族と一緒になって私を追いかけ回し、離婚をせがみました(中略)しかしながら、神の願う平和世界を築く上で結婚がいかに重要かをよく知る私は、彼らからどんな侮辱を受けてもじっと耐えました。
彼女は私たちの教会と信徒にも言葉で言えないような乱行に及びました(中略)彼らが準備した離婚状に判を押さざるを得ませんでした(中略)先妻のことを思うと、今も気の毒な気がします。彼女がそこまでするようになった背景には、キリスト教一家であった実家と既存教会の煽動がありました。結婚する前はしっかりした女性であったのに、がらりと変わってしまったことを考えると、世の中の偏見と固定観念の恐ろしさというものを再認識せざるを得ません(p.146 l.2-p.147 l.2)
→ここまで妻や家族のことに関する記述が殆どなく、それどころかまともに顔を合わせてすらいないのでは、結婚の重要性を知っているという言葉が異様に薄っぺらい。つまり結婚というものは、書類上で成立してさえいればそれで良いと言っている訳である。
妻とその家族が離婚を迫った理由は間違いなくそれであろう。結婚したのにろくに妻や子供と長い間会わずにおり(「いつの間にかすっかり大きくなっていました」p.130 l.13-14)、会っても冷たくあしらって追い返すようでは、たとえ宗教上の対立がなかったとしても激怒して離婚を迫るのは必然である。
このような大きく明白な理由があるにもかかわらず、妻が教会への偏見のために変わってしまったと言って原因をすり替え、偏見は恐ろしいものだと言って責任転嫁をしている。これらをもってして「気の毒」に思っているだけで、決して自分に原因があるとは思っていないことが伺える。
祝福式(結婚式)のことです。祝福式を前にした新郎新婦に、私は必ず純潔であるかと尋ねます(p.149 l.8-9)
→文氏は子供を授かった妻と離婚しているため、すでに純潔を失っている。それならば何故彼は再婚しているのだろうか?
私は彼を真っすぐに睨みつけて、恐ろしい声で問い詰めました(p.149 l.11-12)
→すでに何度も指摘したように「恐ろしい」という主観的な判断に依存する言葉はこういう使い方をしないのが日本語である。自叙伝を装った三人称の文体であることが分かる。
その日、赤いチマを着た若い女と一線を越えたじゃないか。はっきりと分かっているのに、なぜ嘘をつくのか」
私は怒って彼を追い出しました。心の眼を開けていれば、何を隠していても全部分かるようになっています(p.149 l.15-p.150 l.1)
→この記述だけでは、追い出された青年が本当に「一線を越え」ていたのか、それともそうでもないのに文氏の妄言により無理矢理追い出されたのかが分からない。
「はっきりと分かっているのに、なぜ嘘をつくのか」、この言葉もこの本に関わったすべての人々にそっくりそのままお返ししたい。
重要なのは端正な姿形ではありません。その中に宿った意味です(中略)伝統を尊重することを知らない民族は滅びてしまいます(p.151 l.8-10)
→美容整形のためにミスコンをやると全員同じ顔になる人々、日本固有の文化を自分たちが起源を持っていると偽る人々。それが朝鮮人という民族である。
第四章
世界情勢を見たとき、日本を憎い敵とばかり考えて、無条件に排斥してはならないと思いました(p.156 l.8-9)
→その割には本書には反日感情を煽るような記述があまりにも多い。
当時は日本とまだ国交がなかったので、密航するしかありませんでした。密航は国法を破ることでしたが、日本宣教は必ずやらなければならないことでした。したがって、何があろうと困難はすべて耐え忍ぶしかなかったのです(p.157 l.1-3)
→宣教という言葉を隠れ蓑にすれば犯罪かどうかなど些事にすぎないという危険思想である。
満足にご飯を食べられない信徒が大勢いる中で、大金を狩りてでも彼(宣教師、引用者注)を送ったのは、それだけ日本宣教が急を要することだった(p.157 l.7-8)
→身近な人さえ救えていないのにそのようなことをする意味があったのだろうか。学費を犠牲にしてでも人に食べさせて来た人物が、派遣のための資金で一体何人を食べさせられるかとは考えなかったのだろうか。
私はすぐに海洋時代がやって来ると直感していました(p.161 l.11)
→字面と文脈から意味を類推出来るにしても「海洋時代」という造語を一般名詞のように使っている。
人々は、韓国の踊りとはどんなものか、五千年続いた韓国の文化とはどういうものかを全部忘れて(p.162 l.10-11)
私たちがいくら五千年の歴史を持つ文化民族だと主張したところで(p.162 l.14-15)
恨の多い五千年の歳月を生きてきた私たちの民族だけが作り上げることのできる(p.163 l.3-4)
数千年間続いた私たちの伝統を子孫に伝える(p.164 l.14)
→五千年の歴史と文化を持つという論拠はどこにあるのか。その年月は漢字の歴史よりも古いが、それよりも前に朝鮮半島には文字文化があったということなのだろうか。はっきりと分かっているのに、なぜ嘘をつくのか。
全世界から尊敬される人は、すでに韓国を世界万邦に伝えたといえます(p.165 l.10)
→そんなことは言えない。言えるだけの論拠がない。世界万邦が朝鮮半島を指す言葉であるなら仕方がないが。
一九六五年は、私が初めて世界巡礼に出た年です。トランクいっぱいに韓国の土と石を詰めて持って行きました。世界を回って、要所要所に韓国の土と石を埋めるつもりでした。(p.168 l.10-11)
ソウルに帰ってきた私のトランクには、四十カ国、百二十カ所の地域から持ってきた土と石がいっぱいに入っていました。韓国から持って行った土と石をその土地に埋めて、新たにその場所から持ち帰った土と石です(p.171 l.12-14)
→土砂は雑菌の塊。そんなものを世界中にばらまくのは、その土地の動植物に悪影響を及ぼすおそれがある。このような防疫上の理由で(少なくとも日本では)土砂の輸出入が禁止されている。当時に取り締まる法律がなかったとしても褒められた行動ではない。
私の目で直接見たヨーロッパは、完全にバチカン文化圏でした。バチカンを超えなければヨーロッパを超えることはできないと思いました(p.171 l.1-3)
→まるで侵略でもするつもりのような文章である。
ヨーロッパの人々が集まって祈りを捧げるバチカン(カトリック教会の総本山であるローマ教皇庁やサン・ピエトロ大聖堂がある)で、私も汗をぽたぽた流して祈祷しました(p.171 l.5-6)
→三行前にバチカンという言葉が登場しているのに、どうしてこの位置に注釈が入るのか。校正が全く入っていない上に文と文を適当に組み合わせているだけなのではないか。
アメリカは、世界的な四大漁場の中で何と三つを持っている国です。それは、全世界の魚の四分の三がアメリカを囲む海にいるという話です(p.175 l.3-4)
→まず、四大漁場というのが太平洋の北西と北東、大西洋の北西と北東であるとされる。アメリカが太平洋の北西あるいは大西洋の北東に漁場を持つというのは無理のあるロジックである上に、仮にそれが出来たとしても魚がその四大漁場にしかいない訳ではないため全世界の四分の三というのも明らかに無理がある表現。
東洋から来た小さな目の男が行う巡回講演は(p.183 l.3)
→この言い回しは講演を行うアメリカ側の視点であり、伝記ならともかく自叙伝としてはふさわしくない。自叙伝と言い張りたいのに穴だらけである。
講演には、宗派を超越して多様な若者たちが集まりました(中略)私が「自分の宗教を放っておいて、なぜ私の説教を聞きに来るのですか。早く帰ってください。帰って自分の教会でみ言を聞きなさい」と言うと、「ああ! ああ!」と大きく溜め息をつきました。そのようにして、だんだんと多くの人が集まり(p.183 l.11-17)
→帰りなさいと言ったのに人が集まる一方だった。論理的につながらない。
見た目にはまことしやかでも、中を見てみれば、醜くて悪いものが多いのです(p.184 l.8-9)
→まさに本書のことを言っているかのようだ。表紙に「文鮮明著」と書き写真も載せ、いかにも平和のために生きた人間の自叙伝であるかのように見せて、その中身は大きく異なっている。
娘の仁進(当時十九歳)も、彼らと腕を組んで一緒に行進しました。七千人以上の聖職者の前で、涙して書いた手紙を読み上げることもしました(p.196 l.8-10)
→ここまで娘がいたことは一切、生まれたことさえ描かれていない。扱いとしては並列されている牧師たちと同じく、実名を出されてはいるが出てくるのはここだけである。母親や先妻のエピソードから、文氏が家族を大切にするという人物像を結ぶことはとてもではないが不可能である。
つまり家族が解放に協力してくれたという話には特別な重みを感じさせない。そのような扱いを受けている娘が読み上げる手紙も同様で、本当に彼女が父を思って書いたものなのか疑わしい。
第五章
一九六〇年三月二十七日、私たちは婚約し、それから半月も経たない四月十一日に結婚式を挙げました(p.204 l.10-11)
→前の章でも指摘したように、結婚するまでは純潔を守るよう人に指導しておきながら、自分自身はそれで再婚している訳である。
妻は若くして本当にたくさんの訓練を受けました(p.206 l.14)
→試練の間違いでは? 訓練では意味が通らない。誤訳だろうか。
私が公的な仕事で忙しい時期に、私の子供たちは一年の半分近くを父も母もいない中で生活しなければなりませんでした(中略)わが家の食卓はいつもお客さんが優先で、子供たちは後回しでした。このような環境のために、子供たちは普通の家庭の子供であれば感じないような孤独を嫌というほど感じて育ちました。しかし、それよりももっと厳しい困難は、父親のことで受けなければならない苦痛でした(p.210 l.10-15)
→それだけ自分の子供たちに苦労をかけたのに、後に家庭は愛を学ぶ大切な場所と語るのか。
ところで、家庭生活において最も大変なのが息子・娘をきちんと育てることです(p.214 l.16)
子供は過程で親の姿を見て学ぶのであって、子供の教育にはそれが一番大事です(p.216 l.3-4)
→さて、これを言った本人は大事で大変な子育てにきちんと関わったのだろうか。第三章p.130-131を参照。
愛は神に似ていく過程であって、世の中で蔓延しているような自分勝手に楽しむものではありません(p.217. l.9-10)
→「愛を自分勝手に楽しむ」と「愛に酔う」はどう違うのだろうか。
父母は、子供たちにとって第二の神様です。「神様が好きか? お父さんとお母さんが好きか?」と尋ねて、「お父さんとお母さんが好きです」と答えたら、それはすなわち「神様も好きだ」という意味です(p.218 l.8-10)
→全く話が繋がっていない。そもそも質問を二つ投げられ、その一方にしか答えていないのに両方に答えたことになるのは明らかにおかしい。子供にとって父母が第二の神様であるならば、第一の神様も別にいるということであり、第二の神様を愛しているからといって必ずしも第一の神様を愛していることにはならない。
教育の最も大事な部分を担っているのが家庭です。幸福も平和も、家庭の外にはありません。家庭こそが天国です。いくら莫大なお金と名誉を持ち、世界をすべて手に入れたとしても、健全な家庭を築くことができなければ、その人は不幸です(p.218. l.10-12)
→先妻と子供を遠ざけて養育を放棄し離婚、再婚した後も子供に孤独や非難に満ちた思いをさせる、これが健全な家庭だと言うつもりだろうか。これが幸福な家庭なのだろうか。ここまで語ってきた人生と講釈の内容が正反対である。
大家族制度は韓国の美しい文化です。
私は、三代が一緒に暮らす家庭を勧めています。韓国の伝統を守るためだけではありません(p.222. l.3-4)
→大家族制度は、何も朝鮮半島に限ったことでもないはずである。世界中を回ってきたならば、他にも一つや二つ見ていることだろう。韓国の文化が素晴らしいと言いたいだけ。
年をとった人を無視することは、その国の国民性を捨てることであり、民族の根を無視することと同じです(p.223. l.1-2)
→何故老人の言葉を聞くことと国民性を守ることが繋がるのだろう。
交叉祝福とは、宗教、国家、人種を超越して、男女が結婚で結ばれることを意味します。農村に行けば、結婚できない青年たちがあふれています。交叉祝福で韓国の農村の青年たちと結婚した新婦たちは、どのような条件も付けずに韓国に来て夫に会い、家庭を築いて暮らしています(p.224 l.11-14)
→この書き方だと、農村の青年らの出会いの場として教会が機能したのではなく、教会が外国籍の女性を青年らと無理やり結婚させて連行してきたかのように見える。
最近も、八月十五日の光復節になると、「日本人が犯した罪を謝罪します」と言って頭を下げる、特別な日本人の姿がテレビニュースに登場します。自分が直接犯した罪ではないのに、先祖が犯した罪を代わりに謝罪するのです(p.225 l.8-10)
日本人が犯した罪を日本女性の嫁が代わりに償ったのです。人類が平和世界に向かう贖罪の道とはこのようなものです(p.225 l.8-10)
→反日感情を煽るための文章。平和のためには謝罪が必要だと言っているように装いながら、日本人は南朝鮮に謝罪し続けるべきだと言っている。実際、すでに国としての謝罪は済んでいるはずである。
彼らのおかげで、日本を怨讐(深い怨みのあるかたき、敵)のように思っていた私たちの心の壁を大きく崩すことができました(p.225 l.11-12)
→ならば、何故本書には反日感情を助長するかのような文章が溢れているのか。
世界平和とは、その言葉どおりに雄大なものではありません。家庭が平和であってこそ社会が平和になり、国家間の葛藤が消え、それがあってこそ世界平和への道が開かれます(p.229 l.2-3)
→これを言っている自身の家庭は果たして平和であったという記述が本書にあっただろうか。
また、この文章では「それ」が指し示すものが不明瞭である。
結婚は二人がするものですが、実際には二つの家系が因縁を結ぶことであり、さらには、二つの氏族、二つの国が融和することです。異なる相手の文化を受け入れ、歴史の中で生じた怨恨を克服して一つになっていきます(p.229 l.6-8)
→途中から結婚の意味が国際結婚(教会の用語だと交叉祝福)の話、とりわけ歴史的軋轢のある国同士の出身者での結婚になっている。ここまででは、一般的な意味での結婚と、国際結婚(交叉祝福)とがきちんと区別されている。
また、因縁という言葉は訳として不適切。現代日本語ではこの言葉にはネガティヴなイメージが伴うことが多いからである。
韓国でも、最近になって外国人との結婚が(中略)増えてきました。新しい言葉で「多文化家庭」と呼ばれています。互いに異なる環境で成長した男女が家庭を持ち、仲良く暮らすことはそれほど簡単ではありません(中略)
多文化家庭がきちんと定着できるよう、地域の社会団体では、韓国語も教え、私たちの文化を紹介するプログラムも運営しています(p.229 l.12-p.230 l.3)
→多文化というのは言うまでもなく複数の文化が混在することである。しかしながらこの定着のためのプログラムは、これを読む限り外国人の配偶者に朝鮮の文化を教えこむ一方的なものである。これでは単一文化である。
家庭は父母の真の愛を受けて愛を学ぶ所です。幼少期に愛されなかった子供たちは、生涯愛に飢え、情緒的な苦痛を受けるだけでなく、家庭や社会のために当然すべきことがあるという高い道徳的な義務を学ぶ機会を失ってしまいます。その意味で、真の愛は、家庭以外の場所では決して学ぶことができない価値だといえます(p.232 l.2-5)
→文氏は少なくとも、最初の妻との間に生まれた子供を幼少期に全く愛さなかったことが本書に記されている。つまりここでは家庭での真の愛の大切さを語っているものの、言っている本人がそれを成し遂げられていない訳である。
ですから、「離婚」という言葉はあり得ません(p.232 l.9-10)
→離婚した人間が言っているのだから、これは寝言か妄言、全く説得力のない言葉である。それとも先妻などいなかったとでも言いたいのだろうか。はたまた、自分だけが例外だとでも言うつもりだろうか。
「良心」に、「私は今、正しく生きているか?」といつも尋ねなければなりません(p.234 l.11-12)
→では、このような嘘や矛盾だらけの本を出すことは正しく生きることなのだろうか。
「人生八十年」と言います(中略)その中で、眠る時間、生活の資を得る時間、遊ぶ時間、諸々の雑事に追われる時間などを除外すれば、まずか七年しか残らないといいます。私たちがこの世に生まれて八十年を生きても、本当に自分自身のために使える時間はわずか七年だけです。
(中略)その七年の歳月だけが、八十年の生涯を生きて自分がこの世に残す痕跡なのです(p.235 l.17-p.236 l.11)
→「生活の資を得る時間、遊ぶ時間、諸々の雑事」の中には自分自身のための時間が全く含まれておらず、自分が生きた証を遺すのに何の役にも立たないと言っている。何故そう言い切れるのだろう。「生活の資を得る時間」すなわち仕事は自分(と家族)が生きるためにすることであるし、歴史に名だたる偉人の中にはその仕事中に名を残す業績をなした人も少なくない。遊ぶ時間もやはり自分自身のための時間であるし、「諸々」の中に一切含まれていないと断言するのは無理がある。
人が生まれて死ぬことは、自分の意志によるものではありません(中略)自分が生まれようとして生まれたのではなく(中略)死ぬとしても自分が死のうと思って死ぬのではありません。(p.236 l.12-15)
→人間は自殺が出来るという事実から目をそらしてはいけない。
世の中の大概の罪は、「個人」を優先するときに生じます。個人の欲心、個人の欲望が隣人に被害を与え、社会を滅ぼすのです(p.239 l.4-5)
→個人よりも国を優先した結果嘘の情報を世界にばらまいている朝鮮人。日本固有の領土や文化を自分たちのものだと世界中に喧伝することは罪であろう。
第六章
私は共産主義の唯物史観に反対する者です(中略)私たちの運動を快く思わない共産国家は、私を亡き者にしようとテロを試みたりしましたが、私は彼らを憎んだり、敵と思ったりはしませんでした。私は共産主義の思想と理念に反対しているのであって、その人たちを憎んだのではありません(p.252 l.10-14)
→これだけ反日感情を煽る文章(=日本を憎んでいるということ)を書き連ねているのに、自分を殺そうとした人々を憎んでいないというのは説得力がない。
ゴルバチョフ前大統領は、私たちが真心を込めて準備したプルコギ(焼肉)とチャプチェ(春雨と野菜、肉などを炒めた韓国料理)を箸で美味しそうに食べました。デザートの水正果を称賛しながら、(p.257 l.16-p.258 l.1)
→何故水正果だけ注釈が入っていないのだろうか。
朝鮮半島は世界情勢の縮図です。朝鮮半島で血を流せば世界が血を流します。朝鮮半島が和解すれば世界が和解し、朝鮮半島が統一されれば世界が統一される(p.259 l.15-16)
→何を論拠に言っているのだろう。
すると金主席(引用注:金日成)も、「同感です。来年からは南北の別れた同胞がお互いに家族に会う運動を始めましょう」と、春の雪が解けるようにすぐ応じてくれました。(中略)
「文総裁、少し考えてみてください。私が誰かを殺そうと思って核爆弾を作りますか? 同族を殺しますか? 私がそのような人間に見えますか? 核が平和目的にのみ使われなければならないということには私も同意します。文総裁の話を心して聞いたので、うまくいくでしょう」(p.264 l.9-17)
→本当に金日成がこのようなことを言ったのなら、なぜ朝鮮半島情勢は悪化する一方なのだろう。
朝鮮半島は地球に唯一残った分断国家です(p.269 l.11)
→本当にそうだろうか? アイルランドと北アイルランドのような例もある。
韓民族は世界に平和を伝達する配達人として生まれたのです(p.270 l.12)
→潘基文の平和を考えていない一連の行動、ロンドン五輪のサッカーをはじめとする一連の不祥事、これらをとって見ると、韓民族とは平和どころか自分のことを一番に考える自己中心的な民族である。
私は北朝鮮を故郷、兄弟の家と思って訪ねていきました(p.275 l.10)
→「私は平安北道定州郡(中略)次男として生まれました(p.20 l.16-17)」とあるように、地図で見ても文氏は現在の北朝鮮の生まれである。故郷である場所を「故郷と思って」訪れることなど不可能である。
アメリカで日刊紙「ワシントン・タイムズ」を創刊してから(p.277 l.16)
→この「ワシントン・タイムズ」なる新聞についてはここまで一切の記述がない。
このように世界的な犠牲を払ったにもかかわらず、いまだに朝鮮半島の統一は訪れていません(p.278 l.12-13)
→このように、とは書いてあるもののその前の段落の内容は朝鮮戦争に国連軍が介入しなければ分断されていなかったという南側の世論、その前はアメリカ人の祝辞、その前が朝鮮戦争に関わった国々の多さ、といった構成になっており、「世界的な犠牲」あるいは被害に相当する文言はどこにもない。この段落だけ別の場所からそのまま引っ張ってきたか、直前の段落をごっそりそぎ落として前後の修正をしなかったかであろう。
朝鮮半島に平和世界を構築することは意外に簡単です(p.280 l.6)
→ならば何故なかなか統一されないのだろうか。
第七章
世界文明の方向は、絶えず西進しながら発達してきました。すなわち、エジプトの大陸文明とギリシャ・ローマの半島文明を経てイギリスの島嶼文明が発達し、再びアメリカの大陸文明に移っていきました。文明は継続して西進し、太平洋を渡って日本に行きました(中略)今や朝鮮半島に移ってきているのです(p.284 l.2-6)
→古代文明という話であればエジプト以外にもアラビア、中国、中米にもあるし、中世にも近世にも欧米の他に文明が花開いていた場所があった。したがって文明がエジプトを出発地として西に向かい続けたという理屈には無理があるし、朝鮮半島がゴールであると言いたいがためにこじつけただけである。
いくら高い山の頂上に置かれた石だとしても、落ちるときは谷底に落ちていきます。西洋文明の最後がまさにそれです。科学の力を借りて目覚ましい発展を遂げましたが、精神的な没落によって、すでに谷底に向かって落ちていっています。その谷底がまさに数千年間精神文化を築き上げてきた東洋です(p.286 l.6-9)
→頂点に上り詰めたのが産業革命をはじめとした科学技術であることは想像できるが、西洋が谷底に現在進行形で落ちているという具体的な論拠は説明されていない。
その中でも、朝鮮半島は東洋と西洋の文明が出会う場所であり、大陸文明と海洋文明が出会う所です(中略)今は、これまで栄えてきた大西洋文明時代が過ぎていき、新しく環太平洋文化圏の時代が開く時です。環太平洋文化圏の中心はアジアです。韓国を中心とするアジアが新しい歴史の主人公になります(p.286 l.10-16)
→すべての文について、一切の論拠がないままに語っている。朝鮮が世界の中心になると言いたいがためにこじつけている。
私たちは数多くの苦難を経験しましたが、誰も敵として憎まない民族です。私たちを苦しめた隣人はいろいろいましたが、不倶戴天の敵にはなりませんでした。
韓民族の心のなかには、敵までも愛する心があります。敵を愛して受け入れようとすれば、絶えず自分を治めなければなりません。自分の心がすっかり膿を出し切った後にこそ、敵を愛し得る心の余裕が生じるのですが、韓民族はまさにそのような心を持ちました(p.287 l.9-14)
→本書の随所でさんざん日本に対する憎しみを書き連ねておきながら、なおこういうことを言えるのは何故か。朴槿恵の政治を見た上でなお南朝鮮人は誰も憎まない民族だと言えるのだろうか。
いくら食べる物に困っても、先祖の墓を売ってまで食べる物を求めることをしないのが韓民族です(p.288 l.3-4)
→そもそも、貧しさ故に墓を売る民族がいるのだろうか。
韓国の言葉には、人の心情を表現できるさまざまな形容詞と副詞が非常に豊富です。この世のいかなる国の言葉も、人の複雑な心を韓国の言葉ほど繊細に表現できません(中略)ハングルもまた、どれほど素晴らしいでしょうか(中略)このように美しい意味を持つ文字を使う国は韓国だけです。デジタル時代となり、ハングルの優秀性がより大きく現れています。子音と母音の単純な組み合わせだけで、人間がこの世で出すあらゆる音を全て記すことができるのですから、本当に驚くべきことです(p.288 l.14-p.289 l.4)
→本当に驚くべきことである。この与太話を堂々と語り、あまつさえ信じる人がいることに、である。
朝鮮語は世界で最も繊細な語彙をもつ言語である、と言ってはいるが、それを言えるのは当然ながら、地球上のありとあらゆる言語――言葉を持つのは人間だけでないことにも留意されたい――に精通した人間だけである。とはいっても、生涯を言語研究に捧げたのでもなければそんなことは到底不可能である。ここまでに世界の言語について触れたことは、せいぜい日本語を勉強したことと辞書編纂の指示をしたことくらいである。つまり、もっとも繊細な言語だと言うのは論拠のない自己陶酔にすぎない。
また、母語でない言語を少しでも知っているならば、ハングルが人間が出す全ての音を表すことなど出来ないと分かるはずである。朝鮮語の表記のために作られた文字が、どうして未知の言語の音も表せると断言できるのか(日本語のために生まれたひらがなでLightとRightの音の書き分けが出来るかどうか想像してみると良い)。事実、日本語も英語もフランス語も、ハングルで完全に音を模倣して書き連ねることは不可能である。
つまり、ここに書かれていることは嘘八百と明らかな矛盾である。
またここでは「さまざまな」と「非常に豊富」が重複表現である。
韓民族は、絶対に人の世話にはならないという独特な性格をもっています(p.289 l.13)
→1997年、IMFによる資金援助。
韓民族は、今まで自分たちが愛するものをすべて奪われました。日本統治時代には大切な国を奪われ(p.290 l.13-14)
→反日感情を煽る文章。「今まで」「すべて」と言いながらも「奪った」としているのは統治時代の日本だけである。
韓国が中心となった海洋時代が開かれるという事実を知ったのなら(p.304 l.11)
海洋時代が訪れてくるということは、韓国に世界を変えるチャンスが来るということ(p.307 l.13)
→どこにそのような事実があるのだろうか。
海を占領する国が、世界をリードすることができるのです。海を占領した国の文化と言語が世界の言語と文化となる世の中がすぐにやってきます(p.305 l.9-11)
→領海や排他的経済水域は国連海洋法条約で決まっており、占領すると言うとそれは条約違反の侵犯行為になるのでは。また、そのような時代が訪れる論拠がない。
私は、太平洋文明圏の中心となる所を求めて、何度も韓国の南海岸一帯を回ってみました(p.308 l.12)
→何故中心になるのが韓国と決めつけてそこしか回らないのか。太平洋とは、朝鮮半島の周辺の海を指すのだったか。
自然を大切にして保護する近道は、自然を愛する心を持つことです。道を歩いていて一株の草を見ても、涙を流すことができなければなりません。一本の木を抱きかかえて泣くことができなければなりません。(p.316 l.5-7)
→そもそも自然保護に関心を持っている時点で自然を愛しているのでは。近道とは言っても、いきなり道端の草を見て泣くのは大げさにすぎないだろうか。それに、どれだけ愛していてもそこまで出来る人はそうそういないだろう。
単純に食べ物を与えるだけでは飢えを解決することはできません(p.317 l.10)
私が直接魚を釣る理由は、魚の釣り方を知らない人たちにその方法を教えるためです(p.319 l.13-14)
食べる物がなくて死んでいく人に一握りのパンをあげるよりも、当面は苦労して日の目を見なくても、小麦を植えて収穫しパンを作る技術を教えなければならない(p.322 l.6-7)
→この考え自体は間違ってはいないのだが、別のページで、「川に魚がいるにもかかわらず、釣り方が分からなくて家族を食べさせられない南米の父親」に会った時には「食べ物を少し分けてあげただけ」(p.4 l.2-4)と書いている。
私たちが見慣れない人に会えば、「あなたは誰ですか」と尋ねるように、神様も私たちに尋ねられます。そして、神様は、「私は青年です」という答えを一番喜ばれます。なぜなら、人生で最も大切で、もっとも美しい時が青年時代だからです(p.326 l.16-p.327 l.1)
→「なぜなら」が全く機能していない。「誰」かと聞かれて「青年」と答えるのでは、対話が成立していない。質問に真っ当に答えないほうが喜ぶとは、神様は実にねじまがった思考をお持ちのようである。
神様を愛することにより、私の人生は完全に変わりました。自分よりも人類をもっと愛し、私と私の家族の問題よりも人類の苦痛を先に考える人になったのです(p.322 l.13-14)
→目の前にいる家族の問題さえ解決しない者が、見えない場所にいる人間を救えるのだろうか。
志を立てるということは、自分が生きていく人生の意味を決めることです(中略)サッカー選手になるにしても、自国の名を万邦に轟かせ(p.330 l.9-11)
→サッカー選手になるための志が国の名前を世界にアピールすることとは、本末転倒である。これが朝鮮人のスポーツに対する考えであるならば、オリンピックやスポーツの国際大会で様々な問題を起こしたのも納得である。
私は、礼拝や特別な行事がある日でなければ、ネクタイをしません(中略)家にいる時は、普通のセーター姿です(中略)いま外で火事が起きたとします。セーター姿の私とネクタイを結んだ人とでは、どちらが先に飛び出していくことができるでしょうか(p.336 l.15-p.337 l.4)
→何故服装一つでそこまで差がつくと思っているのだろうか。差を語るにも条件を足せば意味がなくなる。では、セーターの太った人と、礼服姿の細身の人とではどちらが先に飛び出していくことができるでしょうか。
日本語版によせて
世界は豊な先進国と、自分の力だけでは生きていくことができない発展途上国に分かれている。先進国は自国を犠牲にしてでも発展途上国を助けようという国がない(p.370 l.15-16)
→ごく当たり前のことである。また「絶対に人の世話にはならないという独特な性格(p.289 l.13)」の朝鮮人に言われても、まるで説得力がない言葉である。
日本は神の摂理的な観点から見れば(p.378 l.13)
→突如として現れた謎の専門用語。急に内輪でしか通じない話をし始めており、どのような読者を想定して本稿が書かれたのか察することが出来る。
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