パソコン修理にかかる費用と持ち込み修理をやっている店の場所とを調べたところ、費用的な意味でも重さ的な意味でも面倒という結論に至った。Craving ExplorerとiTunesインストールして以前と同じようにニコニコ動画から音楽を落とせるようにしたらもうどうでもよくなった、メモリ復活とか。やっぱりノートパソコンが欲しいと思う今日この頃。その前にまずはバイトなのだわ。
卒業も決まったし、まあ入学するまで暇かと言えばそうでもない。なんせ、大学では仏文科らしいことは何もやってこなかったというのに大学院からは仏文科に入学するという、本当に語学だけでどうにかなってしまった門外漢も甚だしいところでありまして、まあ入学するまでにはフランス文学を和訳で良いからとことん読んでおけと、外国語教育センターの教授に言われているのであるからして。
というか学科の教授よりもフランス語のK教授との方が交流が多いってどういうことなの。いやもちろん、学科内の主要な教授との交流はもちろんありますが。
そんなわけで手始めに一年生の夏休みから、長期休暇ごとに借りては読み断絶しを繰り返してきたマルタン・デュ・ガールの小説「チボー家の人々」を最後まで読み切ろうと、この前借りてきた。実は原書も持ってる。
これは橋本紡「半分の月がのぼる空」に出てきたのがそもそも興味を持ったきっかけ。ただ何度も中絶しているのが、翻訳があまりにも古いから。今読んでいるのが新潮社の新版世界文学全集だけど、これの発行が昭和35年、半世紀も前(それでいて漱石の文学は抵抗なく読めるのが不思議。これは翻訳文学ならではの問題か)。訳者の名は山内義雄。フランス文学界ではかなり権威がある方だと聞いております。探したところ白水社Uブックスでも「チボー家」は読めるみたいだけどそっちも訳者は同じ。つまり山内訳しかないようだ。いつかこの新訳を出すのが夢だったりするわけで。ただ長いんだ、この小説は。
読みたいフランス文学もいっぱいあるんだけどね。
さて前置きが長くなったけれど昨年十二月に終わったアニメの評価について。とはいえ今回は卒論等を控えていたこともあり本数を削った結果二本しかないのだけれど。
・神のみぞ知るセカイ
現代の作品だなーという感想が第一。それぞれがコンプレックスを抱いているヒロインたちに恋をさせることで心理的な変化をもたらすことを目標とする、という構成は新しいと思う。しかしながらその動機がややご都合主義的。とはいえ、その強引な拘束力こそが二次元と三次元の違いを逆手にとったはちゃめちゃな恋愛模様を展開させる力になっていたのも、また事実ではあるかもしれない。
そして未だに疑問なのが、桂馬がゲームを買う資金はいったいどこから出てくるのやら。というか、いったいあの世界ではどれだけのギャルゲがリリースされているのか。未成年であることを考慮に入れればさらに遊べるゲームが減るような……?
視聴者を引きつける力とヒロインのキャラクター性がちょっと欠けていたように思う。
・刀語
一ヶ月に一回、というペースだったのでようやくか、という思いもあるが、2010年のアニメの中ではトップクラスの実力を持っていたかもしれない。これぞ西尾維新パワーか。
最初から専門用語を乱発していたり、展開が理解を拒むほどに早かったり、独特な作画で見せていたりと、やや取っつきにくさはあるもののそれを乗り越えた第三話、敦賀迷彩との戦い以降はどんどん面白くなっていく。
次回の放送が気になるほどに面白いと感じたアニメはコードギアスと鋼の錬金術師くらいなものだったが、刀語はそれに匹敵するだけの力を持っていた。作中の台詞にもなかなか深いものがある。
さらに驚くべきはその構成力か。調べたところによれば原作本はアニメ同様に一ヶ月一冊のペースで刊行されたようだが、それらは書き溜めて発行されたわけではなく、西尾維新が毎月書き下ろすという形だったらしい。だというのに不思議と構成の荒っぽさを感じさせないのは作者の腕によるところが大きいかもしれない。
第四話、薄刀・針の回は肝心だったはずの錆白兵との戦いを描写しないが、そういう突っ込むべきところさえ無茶な構成というより作者の味に昇華させているのも、この作品の魅力だっただろう。
次は今月からの新作について書けたらいいな。
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